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名目GDPを600億円へ~金融政策によるインフレ―ターゲット2%から名目GDPを目標とした意味について考えてみた

2015年09月30日 ネズミ1号:略称「T」
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もう限界か!?収益性よりも成長材料重視が加速させていた~カネ余り×ITバブル~の終焉は近い!?」でなぜ金融緩和は出口戦略を取らざるを得ないのか書きましたが、今日は安倍首相があたらしい三本の矢の一つとして掲げた名目GDP600億円の件について考えてみました。GDPを現在のおよそ460兆からおよそ1.3倍の600兆にするという目標は、インフレターゲット2%を掲げた金融政策主体の目標とちがい、60年代に池田内閣が掲げた所得倍増計画的な響きがある点が注目するところかとふと思ったのですが、


 

 

金融政策によるインフレ―ターゲット2%から名目GDPを目標としたことの意味

1960年代に池田勇人内閣の所得倍増計画がありました。この政策の基となった考え方は、国民総生産は労働力の大きさと資本の大きさで決まるとされていますが、当時は4500万人の質の高い労働力があり資本もそれなりにあったようですが、その質の高い労働者者の多くが能力不相応な低生産性の現場にいるとして、休眠状態に置かれていることを改善しようとする政策だったようです。
簡単に言うと生産性の高い職場を作り出す速度と、それを支えるための設備投資という組み合わせで10年もたたずしてGDPが2倍以上にもなったということのようです。

池田内閣の「所得倍増計画」WikiPedia

確かにに当時は高度成長期だったたとか、円安だったとか言われるかもしれませんがそれでもなお1961年代といえば、日本が戦後輸出を開始しはじめてある程度ルイス転換点を迎えた後ぐらいのタイミングだったのはないかと個人的には考えています。

イメージで言うと通産省、産業界、政府との護送船団方式による市場創造の手厚いサポートと革新的な技術に対する積極的な投資の奨励や設備投資の為の金融政策(いまでいう銀行持合い性など)伝統的な日本型産業界の構造が形作られた時期というのは1960年代から70年代だったようにも見えます。

当時のそうした投資・対策の中から、ICカイロやトランジスタなどを応用したハイテク産業が日本で起きる素地ができたとも言えそうですが、その素地があったからこそ1980年代から90年代にかけてハイテク産業で日本は世界を圧倒する強さを誇れたのかもしれません。

今の日本が置かれた状況は、1960年代当時の状況と環境条件はちがっても実は課題はそんなに変わっていない!?

現在の日本のGDPと他国との比較チャート

comparethegdp2015-jpn.jpg

当時は戦後に生まれた団塊ジュニア盛大が社会にでた時期とかさなり豊富な質の高い労働人口は確かに多かったと思いますが、現在は豊富な質の高い労働者がいても、そもそもその能力を生かせる生産性の高い職場が日本国内になくなっているという見方ができそうです。生産性は一見高そうに見えて実は高くなく、業務時間の数割をネットサーフィンしているようなホワイトカラーな人も多くいるかもしれません。無駄を省くというかどちらかという市場を縮小させるようなビジネスというか、タコが自分の足を食べるようなビジネスが多いにように見えてしまうのは気のせいでしょうか?

今後GDPを600兆円にするというのなら、その昔の製造業やハイテク産業、現在のITに近しい新たな需要を生むような革新的な商品やサービス、マーケットを想像すべく高い生産性の職場を用意することが日本が今後少しでも浮上するためのヒントとなるのかもしれません。

そして、重要なのが、ストックブローカーが喜ぶような金融緩和によるバラマキから、高い生産性のある職場を用意するための実態のある設備投資にマネーが還流すると、実体経済も大きくなり、GDPも増えることになりそうです。

金融緩和を世界2番目の規模で行っているジャパンマネーがめぐりめぐって米国証券市場や海外投資家の儲けを助けるだけの施策に使われるのでなく、国内にリスクある新事業やビジネスへ積極的に投資ができる環境を整備したなら、5年で社会の雰囲気は変わるように思うのですが、オリンピックまでどういう政策がとられるようになるのか注目ですね。



2015年09月30日 ネズミ1号:略称「T」
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