ポストセブン:1984年生まれの社会学者の方が記事ですが、この世代の方で、「周りに家や車を買ったという話は聞かない」という傾向があるようです。1984年生まれというと、年齢にして29歳から30代ですね。生まれた時からデフレの失われた20年が人生そのもので、今でいう団塊世代のように5年後、10年後はよりよくなるといった行け行けどんどんの時代ではなかったので、「周りに家や車をかったという話を聞かない..」というのは何より真実味があるように思えてしまうのですが、ちょっと悲しい限りですね。
この方は清貧とプア充の違いとして解説していますが、清貧とは昔からあった質素な生活の中で、心の平穏や豊かさを充実させるという考え方、一方でプア充とは一生懸命働いても年収300万、400万円以下・豊かになれないという厳しい現実からスタートしているとの事、当然、固定資産みたいな買い物というか、35年近くもローンを背負ってリスクを犯す考え自体がないというか「お金がすべてではないといった」結果的に清貧を幸福論に置き換えられたと解説しています。
一方で、現在20代後半から、30代後半の人が育った環境は、実は物質的には何不住なく生活してきた世代でもあるのではないでしょうか?小さいころから、身の回りには生活費需品以上のものはデフレで安価にそろっていたであろうし、贅沢なブランド品や高級品は別として物質的には安くなんでも身の回りにはあり、実は消費者としてもっとこういうのが欲しいとか、レベルアップ消費するような感覚はないのかもしれません。
そもそも20年もの間物価があがるというよりは、デフレ下で200円も出せば牛丼も食べれるし、1000円もあれば、友達とカラオケで楽しく数時間過ごせるような時代だったのですから。
逆にいうと数百もするものをあえて買うという価値が今の現代では実はないのかもしれません。そもそも買えそうも無いものに興味は持たないですし。
ファストファッション、ファストフードなど業態としても安価で品質の良いものが買えるようになっている現代。あえてブランドものを買う意欲はなくなっているように思えてなりません。通販やECサイトで耐久消費財を買う一つの目安も19800円とか29800円とかいった単位が目安になっているように思います。
ヤマダ電機や家電メーカーの経営が危機に瀕するわけですね。実際HONDAなども1年ほど前車関連のサービスリサーチを行ってびっくりしたのですが、国内自動車の屋台骨は軽自動車なっていんたんですね。実に8割近くを100万円弱の軽自動車が占めていたのです。このレンジの車でいうと地方含めたインフラとしての生活必需品という名目になり、もはや車は嗜好品として購入するものではないのだと思い知らされました。
ましてや公共交通が発達した都市圏では、そもそも車を買おうという発想は20代では出ないのは当たり前といえますね。車は5ナンバークラス以上ですとおいて多くだけで、年間十数万円かかるわけですし。
最近日本では、このようなブログ記事の論調をよく目にするようになってきていますが、なんだか言い訳がましく見えてしまうのも私の勘違いでしょうか?言ってみれば、構造的な問題もある意味あるわけで、がんばれば豊かになれるような閉鎖的でないもっと成長できるような枠組みを取り込むべきかもしれませんね。
最近いろいろな案件の企画やマネタイズについて考えることが多いのですが、フリーミアムだとか、広告モデルなど、基本的にIT系サービスは無料という感覚ですし、一方でパチンこのような射幸心に訴えるようなバーチャルなモノやコトに大して月々数万円もお金を使ってしまうというった現象があるのも事実。
物質的なモノに対する欲求から、デジタルやコミュニケーションといって手に触れられないようなデジタルなものに対して時間とお金を使うことで満足する・豊かにおもうという心理的・文化的な変容も出てきているという一つの考え方もできるのかもしれません。
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