2014年04月30日 ネズミ1号:略称「T」
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東洋経済:こちらの記事で竹中平蔵氏による提言がされていました。簡単にいうと「財政を使った短期的な需要コントロールと供給サイドを強化する中期的な戦略」が重要なのだそうですが、供給サイドを意識した施策が強調されている部分がちょっときになりました。端的に言うとここには日本国民の購買力向上という部分が抜けているような気がしましたので、ちょっと記事内容をみていろいろ想像してみました。わざと捻くれた見方で想像をめぐらして見ましたが、こんな仮説もありだと思う方がいらっしゃったら別のこじつけ等も是非トライしてみると面白いかもしれません。
ここでいう供給サイドとはもちろん企業のことを指しているのだと思いますが、強化する部分は、輸出だとか、法人税減税による企業の経常上げ→株主配当上げという構図のことを言っているように推測できそうです。韓国などでは、法人税が15%ぐらいだそうですが、サムスンも現代も50%以上が外国人投資家が株式を保有しおり、国内には税金も残らず悲惨な状況だと聞いたことがあります。誰しもそうしたことを望んだわけではないと思いますが、政治家のスキャンダルとかそういった報道ばかりがなされていて気が付いたらそのような状態になっていたのだそうですが日本の場合はどうなのでしょうね。「バランスシート不況とは何か?みんなが一斉に借金返済に走るとどうなるか!?」や「量的緩和をやってしまった日・米・英がこれから直面する局面とは?」でも紹介しましたが、これ以上の追加緩和は、本当の意味で景気が底上げした時のハイパーインフレというアキレス腱になるかもしれませんし、企業優遇は確かにいいですが、法人税からの収入を減税し、足りない部分は財政再建をして株価に還元すると聞こえてしまうような政策とも受け取れます。法人税減税分は税引き後の経常に跳ね返るわけすが、この利益が社員や国民に反映されるか?というと韓国の例ですとそうはならず、株主の配当へ回ってしまうようです。
日本の場合は、減税方法など細かな点についてたとえば政策会合などでこんな議論もというように、たとえば、国内設備投資分はN%減税とか、減価償却を優位にできるとか、従業員の支払い給与についての優遇税制とか議論されているようなことが見え隠れしますが、実態はどういうところに着地するのか全然見えてこない感じもします。
竹中氏の供給サイド強化という提言については、グローバル資本による禿鷹的な環境整備とか、国内企業の外資化みたいな側面が見え隠れしているようなイメージがどうしてもついてしまいますね。郵政改革の当時のいろいろなヤジがあったからなのかもしれませんが。。これから人口がますます減ってゆく日本においては、税制優遇による企業待遇を上げるという施策よりも、研究開発や革新的な技術やビジネスモデルなどを優遇し、法人税はしっかりとる(国庫に税金として納めてもらう)というのが本当は、優先されるべきなのかもしれません。同じ東洋経済の記事でファナックというロボット工作機械の会社についても書かれていましたがこの企業が富士の裾野の村にあることで、その村の財政は潤っているというお話もあるようです。企業には収益を上げる、社会に貢献する(税金を納める)という社会的な責任もあるということを忘れてはいけないのかもしれませんね。CSRとかいう前にきちんと税を支払って公共の利益へ還元するというのも一つの役割としていもいいのかもしれません。
一般国民については、どちらかというと減税すべきですね。購買力があがらなければ経済発展はなく、広義な意味での単なるブロック植民地経済となるだけのように思います。日本は、当の昔のルイス転換点を経て、給与も高く、他国が提供できないようようなバリューエーションを想像しないかぎり、今の生活は維持できなくなるように思います。逆に企業が元気になったり、外資が日本は税制も有利だし。。アイランドみたいに次々と登記簿だけ日本に移したとした場合はどうでしょうか?外国から資本が流入し、企業がくることで、日本で雇用が生まれるというお話もありますが、こういう感じだと雇用は生まれなそうですね。効率化という名のもとに、どこぞの多国籍業のように40歳定年みたいな時代がくるような予感もぷんぷんする感じも想像できそうです。
今後世界的には、ますます電子機器のモジュール化、プログラムやフレームワーク、AIなどといった技術も汎化され、高度な技術者も高賃金という時代は終わりを告げるかもしれません。科学技術が発展し、文化・精神的な価値観なども変容・発展するのであれば、それに見合う産業構造と労働定義がこれから模索されるべきなのかもしれません。世界全体が中間層になるにつれ、一般のコモディティ商品は行き渡り、どういでもいい(つかえればいい・やすかろうわるかろうだった)日用品や家電品は当たり前のよに安くてかつ品質もいいこととが当たり前にになる流れも確実なのでせしょうね。竹中氏などの提言はこの流れの部分を想定しているように想像してみましたが、技術が発展することで、安くでいいものが設備とプログラムさえあれば、もっというとそこに人が介在しなくとも自動でつくれる時代が到来するのかもしれません。これは第3の産業革命ともいえますが、1990年代から2000年代がインターネットによる情報革命だとするとこれは中世のグーテンベルクのそれに似ているかもしれません。2020年代は、情報だけでなく、実際にAIなども実用化され、自動車や製品の製造工程や日々の生活に関係するリアルなオブジェクトなども安価になったCPUチップやメモリーチップなどを搭載しネットワークされるようになるのでしょうね。行ってみれば、無機質だったモノが意志をもつような時代になるのでしょうが、19世紀の産業革命が大量生産、大量消費の時代の幕開けだったとすると、次の動きは、無機質のモノが有機な意志をもち、小ロット生産、オーダーメイド消費革命みたいな産業構造になるのかもしれません。政策を提言するような人は、経済、金融学などは詳しい方なのかもしれませんがこれからは、科学技術や未来のビジョン政策などもにも精通した人がビックピクチャーをきちんと描くことができるようなSF作家さんやスタンリーキューブリックさんみたいな人の提言も是非聞いてみたいと思いましたが皆さんはどうでしょうか?
PS:供給サイドときくと思わず18世紀から19世紀の産業革命まっただ中のロンドンで子供が働いている姿などを思い出してしまったのは私だけでしょうか?
2014年04月30日 ネズミ1号:略称「T」
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