出版と印刷会社のたとえを利用して、これからの自動車産業の行く末について書かれている記事面白かったので紹介します。
「自動車産業の「解体」は必然? 今こそ日本の電機の失敗に学べ」
出版と印刷というと分かる人は分かると思うのですが、出版社は"売れるコンテンツ"の発掘を生業としていて、大きなヤマを引き当てられれば販売部数、IPライセンスなどで膨大な利益をあげることができるビジネスモデル。一方印刷会社は、高価な印刷機を保有し、沢山の印刷物をすることでもうけを出すビジネスモデルでした。
出版社は、企画や開発を生業とする会社、一方印刷会社は実際の本や雑誌を製造する会社だと言えますね。
この記事は、この関係を家電メーカーや自動車メーカーに例えて今後のメーカーの取るべき施策について考察しているのですが、ようは、メーカー(出版会社)が製造工場(印刷会社)を一気通貫で維持するのは合理的ではないというお話です。
出版社と印刷会社の関係をたとえにすると確かにそうだと腹落ちするこのロジックは面白いです。
今でこそ、自動車メーカーは、どういった車種をどういうコンセプトで、どういうターゲットにという企画・開発を行い、製造プロセスについては自社の組み立て工場で行うという形だと思うのですが、車を構成する数多くの部品を系列部品メーカーから調達して組み立てている訳です。
トヨタも、日産、ホンダなどをはじめとする日本を代表する自動車メーカーもこのようなモデルで自動車メーカーとして成り立っているようなのですが、ここにきて電動化の波が自動車業界に差し迫っているようです。
個人的にはまだまだ電気自動車の実用性についてはつかがってなどの観点から疑問があるのですが、エンジンやミッションがなくなりモーターとインバーターがその役割をとってかわることにより、シャーシー製造や乗り味を決める足回りなどについても、データを蓄積することで、3Dプリンターがやるように、乗り味から走りまで、半導体のように自動で製造プロセスを構成することができるようになるかもしれないそうです。
こうした設備には、膨大な投資が必要で、メーカー1社では、車に組み込むソフトウェア開発なども含め、到底賄いきれなくなるだろうとのことです。
まさに、現在、TSMCのような半導体のファンドリーのような業態が効率的に設備投資と稼働率を上げて、本家自動車メーカーよりも、よりすぐれた製造設備をもつようになり、安価に自動車を製造できちゃうという時代がくるかもしれないということだそうです。
Googleやアップルのような企業が自動運転を実現するアルゴリズムを実装したソフトウェアを武器に、市場で欲しい!と思われるような車の企画を行い、自動車の製造については、ソフトウェアがしっかり稼働するプラットフォームと構成する部品を組み立ててもらい製品をつくるという感じです。
まさに、最近のパソコンやスマホのようなモデルと同じことが起こる訳ですが、パソコンや家電、スマホについては、日本は一部の高度な部品を製造、サムスンやHawaiiやアップルの製造を請け負うベンダーに納入するような部品メーカーとしてなんとか生き残っているというのを思い浮かべてしまいます。
実際、パソコンやテレビなどはほとんどがアジア初の企業が製造して、日本メーカーのブランドだけのせて販売しているようですが、自動車産業についてもこれから10年ほどの間のこのような形にシフトしてゆくのでしょうか?
いやいや、自動車製造については、シャーシーの剛性とか足回りとか人がある程度すり合わせスキルを駆使して乗り味や強度、安全性を担保しなければならないから家電やスマホのようにはいかないといわれる現場の方もいらっしゃるかもしれませんが、あのログブラウン管からデジタル液晶にシフトして行くにつれ、職人よるノウハウが必要なくなり、日本のお家芸ともいわれたTV家電は、どのメーカーでも凋落している現状を見るとそうとも言っていられないようにも思います。
現在550万人もの雇用を維持しているといわれている自動車産業で、このようなパラダイムシフトが起きてしまった時、人口が減りつ付けてゆく運命であり、それにともなりGDPも減り続け、上から数えるよりも中央から数えるぐらいになるようなポジションとなった日本の国内景気っていったいどのようになるでしょうか?
私が小学生のころなどは、社会で日本は加工貿易立国だと教わった記憶がありますが、内需もシュリンク、製造業輸出も斜陽、企画やデザイン、商品コンセプト設計もダメ、とがったソフトウェア開発もダメ・・となったら、つい数年前にソブリン危機で騒がれたギリシャのようになってしまうのかもしれません。
ちなみに、ギリシャって7割以上の人が公務員なのだそうです。残りは観光業だとそうですが、日本の10年先はどのようになっているのでしょう。
10年というと長いようで、忙しい日々を過ごしているとアッという間に過ぎてしまうのも事実。
今、世界的にお金を擦りまくって、グローバルにはインフレがそろそろ制御できなくなってきているようです。
日本では、選挙に向けて赤字国債を擦りまくる前提の政策のオンパレードのようですが、個人的には、円建て借金する赤字国債といのは言ってみれば、過去の栄華を誇った日本の信用貯金というやつを食いつぶしている行為のようにも見えてしまいます。
借金の規模だけではなく、成長率や長期的な視点などさまざまなロジックを掲げてMMT的な施策を支持する人も多いようですが、こうした施策はどこまでいけるのかは、現に米国などがインフレ制御できなくなっているらしいことからも誰にもわからないのかもしれません。
その間にちょっとした変革の連鎖が起きてつづけて、ある日気づいた時には、10年前には想像もできなかったようなことにならないように、読み誤らないように、庶民としてできることは準備しておきたいものですね。
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