日本の就活の現場では、理系が有利と言われて久しいですが、こういった傾向は、実施にテクノロジーとは縁遠そうな業種まで及んでいるようです。
営業職やサービス業などまで、その昔とは変わり、DXの流れもあると思うのですが、ITをより活用でき、科学的な分析、数学的な思考をベースに仕事ができる人材を企業は求めているようです。
2000年代に米国で始まった教育モデルで、国の競争力を底上げするために、Sience(科学)、Technology(技術)、Engieering(工学)、そして、Mathmetaicc(数学)の教育分野を総称する教育分野の総称を指しているそうです。
上から、基礎科学分野、科学を実用化するためのテクノロジー、テクノロジーを世に出すためのエンジニアリング(工学)、そして理論を数式化、パラメータ化することでモデル化して処理することができるようになる数学といった科学技術力において競争優位を確保するための基礎の応用から実用化、理論体系まで総括したものとなっています。
人によって得意、不得手などあるとは思うのですが、実はこのSTEM分野については、幼少期からの教育がその後の青年期の得意・不得手を決定づける重要な要素となるようです。
文系に行った人は、行列や微積、確率統計学における数式が出てきた時点で苦手意識が出てくる人もいるとは思いますが、中学受験に出題されるような幾何や基本的な○○計算といった自然言語でかかれた問いかけから、出題内で語られているオブジェクトを図で可視化し、簡単な足し算や掛け算、割り算で答えを出すような発想方法は、ある程度幼少期にトレーニングしないと身につかないというのも、実感している人も多いのではないでしょうか?
私の場合は、息子の中学受験を経て、上記については、しみじみ感じている次第ですが、日本では誰でも大学進学するような時代を経て、それまで文系人気が高かったようです。
文系出身の親御さんも多いことかと思いますが、昔は花形であった商社や広告代理店やメーカー総合職といった職種はもはや斜陽産業ともいえるようになり、今、年俸が高い会社としては、情報通信事業、デリバリーまで司るITコンサルやベンダーという構図に代わってきています。
ITと聞くと、プログラミング技術などを思い浮かべる方がいるかもしれませんが、実務では、別に数学の計算式をバイトコードでプログラミングしている訳ではありません。
具体的に数学の定理を駆使するというよりは、プログラムで扱う対象の定義をしたり+=代入したり、-=差し引いたり、=<,< ,$$ ,==, equalといった比較演算子やifやwhileやなどを活用して、処理したい内容や現実世界のものをプログラム"言語"として表現するという発想力が求められるわけです。
どちらかというと数学的な論理的な発想力というのが求めらえる感じかと思いますが、とことん突きつけると2進法からなるコンピューティングの本質も理解した上での高度なプログラミング知識が問われることもあるのも事実です。
一報、数学知識を多用する統計学などは社会人になってからも、実務でネイピア関数だとか、偏差値計算、さまざまな解説フレームワークを活用するために本質的な数学知識が問われるものもあります。
これら知識は、個人的には、高校3年生ぐらいまでの数学で学ぶものだと思いますが、今後はこうした数学力の他に物理、化学、バイオ、それらを活用した工学といった本学的な科学技術工学まで基盤を備えた人材が社会や企業から求めれるようになると理解するといいかもしれません。
そういう意味で、お子さんに小さいころから公文のような暗算や数字の基礎を学べるような学習、場合によっては中学受験の算数などに幼少期からチャレンジさせてみるというのは各国で普通に英才教育に投資しているご家庭と比較すると、やれるのなればやっておいた方が我が子のためになるかもしれません。
親ガチャという言葉が巷では流行っているようですが、日本だけでなく、世界先進国でも、やはり裕福な人が良い教育をうけられるというのはさほど変わりはないように思います。
1つ違うとすると、大学進学における奨学金制度が国によって差があるということでしょうか?
今では、無料で学べるオンラインカリキュラムなどもありますが、その多くが英語で提供されているのも事実。
日本語の壁で守られていた国内マーケットも、DXやIT化促進の流れの中でさらに加速するSTEM教育という流れに、キャッチアップするのであれば、選挙で各党がアピールしている教育無償化、子供給付だけではなく、もう少し、具体的な教育改革やカリキュラム、その上で、光学な学費や塾費用を支払わくとも、興味や素養があるお子さんが自由に学ぶきっかけや学べる環境を得られるような政策や奨学金を含めた柔軟なファンドなどを検討してほしいものです。
公平な競争というみです、上記のような環境が整うことで、実は非常に厳しい実力次第という競争にさらされることになるのでしょうが、やはり、楽して得られるものは少ないとのがものごとの本質だといえるように思います。
一番いいのは、そうした真理を追究するような探求を楽しめることなのでしょうが、お金をばらまく前に、そういうきっかけを作る入り口や具体的な魅力的なカリキュラム作りが一番重要なのかもしれません。
そういう意味では、教師の質も同時に問われることになる訳で、これから楽して○○できるようなご時世ではますますなくなってくるのかもしれません。
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